―――夢かうつつか、寝てかさめてか。

夢を見た。
ただの夢、で片付けるにはリアル過ぎる、夢。
漆黒の闇の中、光を放つかのように浮かび上がる白い肌だけがやたら鮮やかだった。
差し出された赫い華。
それは、血の色にも似て―――。
「…起きた?」
澄んだ水のような瞳を細めて、彼は読んでいた本を閉じる。
瞬きをする度にふっさりと上下する睫毛がその白皙の頬に時折影を落とした。
―――夢、だったのか。
目を開けて飛び込んでくる午後の光に顔をしかめながら思う。
徐々にはっきりしてくる視界の中で、彼が微笑していた。
木陰に腰を下ろしたその膝の上で、どうやら眠り込んでいたらしい。
「よく寝てたね。もうすぐ午後の授業だよ。そろそろ起こそうと思ってたんだ」
言いながらその華奢な指で、額にかかった髪をかき上げてくれる。
質のいいレースの袖口から、上品なシャボンの匂いと甘い砂糖菓子めいた匂いがない
交ぜになって香る。
「もう行こうか?ここから教室まで、結構あるし」
促されて体を起こすと、彼もゆっくりと立ち上がり、優雅な動作でズボンの埃を払
う。
それから本を小脇に抱えると、数歩前を歩き出す。
光を受けた金の髪が風に揺れている。
「行こう?」
振り向いて、差し伸べられた手。
不意に夢の景色がよぎる。
闇の中で差し伸べられる手。
赫い、華。
「やっ…」
その手を振り払って、はっとする。
彼は大きな瞳を更に大きく見開いて、きょとんと見つめてくる。
「ごっ…ごめん!…ああそうだ、課題、やってなかった!先に行くね!」
駆け出したその背中に呟く声。
「…変なの。そんなの見せてあげるのに…寝ぼけてるのかな?もしかして」
宝石で出来た宮殿には王子様が住んでいる。
幼い頃に母に聞いたお伽話。
シルクのドレス、ビロードの服。
輝石の瞳、白磁の肌。
彼に会ったときは胸が震えた。
夢の具現そのものだったから。
見ていられるだけでも良かったのに、今はごく自然に傍にいる。
自分も夢の中にいられる気がして。
彼といるその時だけは、汚れた自分を忘れられる気がして。
それなのに―――。
「おい、何考えてるんだ?集中してろよ」
ぐい、と髪を掴まれて我に返る。
刹那頬に痛みが弾けた。
ついでとばかりに2、3発頬を張られたらしい。
ベッドにうつぶせに倒れこんだところで、足首を掴まれて無理矢理に開かされた脚の
間に暴力の塊を押し当てられる。
「あ―――っ!」
悲鳴が夜陰を裂く。
貫かれ、がくがくと揺らされる度に吐息交じりの声が漏れる。
しかし今日はその声が、自分のものではないように思えてならない。
夢の中で聞いた声は。
彼の、声。
汚してはならない聖域を侵した。
壊した―――。
「いやあああっ!」
絶叫と共に、自分を責め立てる男を押しのける。
不意をつかれ、男はベッドから転げ落ちる。
「何しやがる!」
凶暴な顔つきになって再び襲いかかろうとする男を、左右色の違う瞳で真っ直ぐに見
つめ返す。
弾む息を押し殺しながら、首を横に振る。
「…だめ。今日はだめ。帰って。一人にして。…お願いだから」
男の動きが止まった。
怯えもせず、ただ自分を拒むその視線に射抜かれたように大人しくなる。
しばらくためらうようにその顔を見つめてはいたが、そのうちに服を着ると無言で
去っていった。
誰もいなくなった室内で一人溜め息を吐く。
身体はこれ以上ないほどに疲れているのに、眠る気にならない。
欲求の部分では睡眠を欲しているのに、心がそれを拒む。
怖いのだ。
また、あの夢を見るのが。
自分にただ一つだけ許された綺麗なもの。
汚したくなかった。
そして認めたくなかった。
自分の中にある汚らしい欲望。
聖域を踏みにじる事に他ならないその行為。
「う…」
頬を熱いものが伝っていた。
ピローを引き寄せて目頭に押し当てる。
声を殺して嗚咽する。
もしも、許されるのなら。
今すぐに消えてしまいたい―――。
「どうしたの?」
突っ伏した机から視線を上げると、目の前にその顔がある。
「あれ、目、赤いよ。ちゃんと寝てる?」
柔らかな声音が今は心をかき乱す。
答える代わりに溜め息を吐くと、彼は唇を尖らせた。
「もう、変だよ?最近。僕心配してるんだから。何かあったって絶対人に言わないん
だもの」
ほっといて、と口の中で呟いて再度腕の中に顔を沈める。
もう、と頭上で聞こえて、隣に腰を下ろす彼の気配。
今は彼のその親切さが憎らしい。
人の気も知らないで。
「…繋いじゃうよ」
意図せずに口をつく。
「え?なあに?」
顔を上げないままなんでもない、と答えると、ふう、と呆れたような彼の溜め息が聞
こえる。
いっそこのまま離れられればどんなに楽だろうと思う。
彼を汚してしまわないうちに。
その純白の翼をもいでしまわないうちに。
闇の中、彼が立っている。
無垢な微笑のまま、差し出された華。
誘われるように手を伸ばす。
その棘が指を刺して、血が滲んだ。
赫い血が華を染める。
彼の唇が笑みに歪んで。
君が欲しい、と囁く。
離さないと戒める鎖。
白い肌に散華。
淫らな赫い花弁。
求められるままに奪う。
貫いて。
長い悲鳴。
落ちて行く、闇。
折れた翼では天に戻れないと君が嘆く。
違う。
違う。
君を堕としたかったんじゃない。
分かっていたけど。
こうなると分かっていたけど。
それでも。
罪を犯しても。
僕は、君が欲しかった。
ようやく、分かった。
僕の願い。
止められない、欲望。
本当はどうしたかったのか。
闇の中にいたのは僕自身。
淋しいと君を求めたのは君じゃなくて。
僕だけを見ていてと、願ったのは。
遠ざかろうとする彼の腕を掴む。

驚いて振り向いた細い肩を抱き締めて唇を重ねる。
あの甘い匂いがする。
砂糖菓子の。
「…待ってたよ」
その声は、やたら遠くに聞こえた。
「もう、大丈夫」
その背中に翼が見えた。
純白の羽根が舞って視界を覆う。
前が見えない。
必死に、彼の名を呼ぶ。
やっと、分かったのに。
離れてはいけない。
「―――!」
落ちる、と感じた。
それでも怖くはなかった。
誰かにふわりと、抱き締められていたから。
その誰かが誰であるのかも、分かっていたから。
「…起きたね、眠り姫」
低く響く優しい声。
大きな手が伸びてきて額の髪をかき上げてくれる。
彼はコロンよりも古風な香を好む。
オリエンタルノートの香り。
胸一杯にそれを吸い込んで大きく息をつく。
「…夢を見てたんだ」
「…みたいだね。どんな夢?」
教えない、と舌を出すと、彼は少し残念そうに肩をすくめた。
「…我、夢に胡蝶となるか、胡蝶、夢に我となるか」
これを教えてくれたのは今はもうこの世にいない父親だっただろうか。
「荘子かい?」
彼が微笑する。
「良い夢だったみたいだね」
うん、と笑み返してその手を取る。
長い夢の終わりはここにあった。
今はまだ、闇の中にいるけれど。
彼らは夢と現の間に生きる。
いつか出会う魂の片翼を夢見ながら。
そう、信じているから。
いつかきっと、ここから出られたら。
きっと、会えるよ。
聖羅―――。
これは月(ユエ)君の誕生日にと渡したカードに文月樹水<ふみづきなみ>様(ユエ君)が応えてくださったものです。
まさかこのような形でいただけるとは思わず、感激しました。えぇ、ファンなんですもの(*^-^*)
リンクからSDサイトへ飛んでそこからもいけますが、興味持たれた方はこちらから…